- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/09/06
- メディア: 新書
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ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ。
本物の作家にはこれは自明のはずだ。ドストエフスキーやトルストイやトーマス・マンやプルーストみたいな大長編を書く人間だってチェーホフやカーヴァーやチーヴァーみたいなほとんど短編しか書かない人間だって、あるいはカフカみたいなまともに作品を仕上げたことのない人間だって、本物の作家なら皆これを知っている。ムチャクチャ本当のこと、大事なこと、深い真相めいたことに限って、そのままを言葉にしてもどうしてもその通りに聞こえないのだ。そこでは嘘をつかないと、本当らしさが生まれてこないのだ。涙を流してうめいて喚いて鼻水まで垂らしても悲しみ足りない深い悲しみ。素っ裸になって飛び上がって「やっほー」なんて喜色満面叫んでみても喜び足りない喜び。そういうことが現実世界に多すぎると感じないだろうか?そう感じたことがないならそれは物語なんて必要のない人間なんだろうが、物語の必要がない人間なんてどこにいる?まあそんなことはともかく、そういう正攻法では表現できない何がしかの手ごわい物事を、物語なら(うまくすれば)過不足なく伝えることができるのだ。言いたい真実を嘘の言葉で語り、そんな作り物をもってしても涙以上に泣き/笑い以上に楽しみ/痛み以上に苦しむことのできるもの、それが物語だ。
奈津川家サーガの続編。三文ミステリ作家・愛媛川十三*1こと奈津川三郎を主人公にすえ、思考の放棄、選択の間違い、嘘でしか伝えられない真実というモチーフをペラい日本語を逆手に取った文圧でもってめったやたらに叩きつけてくる怪作。矛盾や瑕疵、明かされない謎と信用ならない語り手などから従来の探偵小説の結構から離脱しようともがいている感じがとてもよく伝わってくる。おれと同じ年齢の三郎の決断、というかラストの本当の気持ちはどこに向かっていくのか、この先はどこにあるのか。目をそらし続けるのはやめないと。
*1:『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』に舞城王太郎の別名として評論を寄せている。