ブックスエコーロケーション

「SFとボクらの場所」をテーマにした本屋のブログです。実店舗はありません。開業準備中。

『もうすぐボクはサヨナラを言う』

 ボクは座っている。河原の土手の、雑草の上に座っている。日が暮れかけていて、周囲は真っ赤に染まっていて、川面はきらきらギラギラ乱反射。近くの、護岸のコンクリの上で、三人のがきんちょが水切りをがんばっている。一回、二回、三回、どぼん、どばん、ケラケラげらげら。落水の派手な音。回数をこなすことよりも、大きな石を投げて、投げ込んで遊んでいる。ケラケラげらげら笑っている。
 似たように笑おうとして、失敗する。舌打ちしてボクは、胸ポケットからキャンディを取り出す。包み紙を両手で開いてピン――と紙の反動でオレンジ色のアメ玉を打ち上げる。目で追って、口を開けて、ボクは待ち構える。
「って」
 鼻の頭に当たって、慌てて伸ばした手の先を転がって、アメ玉は草の間に消えていった。こういうときはなんでもない素振りで立ち上がるに、限る。「えい」とボクは膝に手をついて「どっこいしょ」立ち上がってお尻をパンパンと払って――妙な声が、聞こえた。橋のほうからだ。ボクの座っている右手側にアーチ型の鉄橋があって、その上を東西に国道が走っていて車もじゃんじゃん走っている。その車の通過音に負けない、大きな声、声、声。
 おーやっほいやっほいやっほい。おーやっほいやっほいやっほい。
 奇妙な、かけ声。そう、かけ声だ。一度だけ、聞いたことがある。部活の見学で体育館に行ったとき、かおちゃんとあきちゃんがけらけらおかしーって笑ってた――声は、集団で、橋を渡って、土手の上の、アスファルトの道を、こちらに、ボクに向かって走ってくる、徐々に近づいてくる。見なくても、わかる。
 声が、近づいてくる。
 だから、ボクは座る、座りなおす。膝のあいだに顔をうずめるように、座る。
 声が、奇妙なかけ声が、意味が失われた音の連なりが、背後を通り過ぎて――行かない。
 とどまっている。
 ボクが首だけで猛然とふり返ると、その場で駆け足をしながらあさっての方向を見つめてバカみたいに「おーやっほいやっほい」と言い続ける、男子がひとり、いた。訂正。バカがひとり、いた。名前をアサダテツヤといって、ボクは正確な漢字を知らない。別に朝田徹矢でも麻田鉄弥でも阿左田哲也でも、誰でもいい。だから、アサダテツヤで、バカだ。
 バカは部活指定の、紺と赤とが絶妙に配分されたジャージを着ていて、学校指定の白のスニーカーのすそからはびっくりするくらい白い足首が見えて、隠れて、見えて、隠れて、足踏みが止まった。テツヤと呼んでくれ、そうバカが言っていたのをボクは思い出す。誰が呼んでやるか。
 ボクは視線をあげる。スポーツ刈りに、黒く太いふちが特徴のメガネ。その最新のモバイルデヴァイスの奥には、黒い、バカの目。よくできた、グラスアイ。バカはアンドロイドだ。プログラムのために、ボクのクラスメイトの性格や体格を模してそのつどカスタマイズされてボクの前に現れる、アンドロイドだ。今週は「アサダテツヤ」の番らしい。「アサダテツヤ」になってから今日でちょうど、一週間が経つ。明日にはリセットされて、また別のクラスメイトがボクの前に現れる。そうやってボクはここ三ヶ月、生きている。
 ボクと目があうと、バカはにまーと笑って言った。
「杉山ぁ、今日も来なかったな、学校」
「うっせーよ、アンチのくせに、おまえなんかバグってろ」
「うーんうんまぁ、それはもっともだ、な」
 どっかと、バカはボクの隣に腰を下ろす。
「なんだよ、認めんのかよ、ポンコツ」
「高度に進化したアンドロイドは、人間と大差ない」
 言ってバカは肩をすくめる。ボクは座る位置をきっちり横に一メートルずらす。バカは眉をしかめる。でも、言葉は続ける。
「たぶん、君には理解できないだろうから簡単に言うが、アンチのここには、」
 と言ってバカは自分の頭を指差す。指は、長い。手が大きい。バスケには有利だろうな、とボクはぼんやり思う。かおちゃんとあきちゃんは結局、バスケ部に入部したのだろうか。ボクは、知らない。ボクは学校には行ってない。入学式の、その次の日から。
「N・O(ノー)が存在する。Neuro‐Organism。神経配列された計算素子の塊がふたつ、アンチの頭部にはつまっている。N・O(ノー)はアンチの思考の、ファジーな部分を創造している。0と1ではとうてい割り切れない揺らぎを、創造している」
 先週がかおちゃんで、先々週があきちゃんで、その時にも思ったのだけれど、たぶん彼女たちは現在(いま)の彼女たちではなかったんじゃないのかな、ということ。ボクが知っている。最後に会った、入学式の次の日までの記憶っていうか性格でしかなくて、なんか、高校生になって三ヶ月経ってあった/なかったいろいろが、全然フィードバックされてなくて、そう、だからレンジが広いけれどボクはこの言葉を使う。彼女たちは、全然リアルじゃなかった。
「そのN・O(ノー)に、君のクラスメイトの性格をインストールし、合わせて身体をカスタマイズする。個別の身体感覚によって観測された情報を、N・O(ノー)にインストールされた君のクラスメイトは感情を右N・Oで、論理を左N・Oで各自に計算し、その計算結果をさらに左右の対消滅演算によって計算する。そしてようやくN・O(ノー)には純度の高い計算結果が生じる。そうやってようやく、人が意識と呼ぶものへと、昇華する」
 でも――結局ボクは現在(いま)のかおちゃんとあきちゃんを知らないわけで、それがニセモノだと感じる、その理由みたいなものをあえて言葉にするなら、それはたぶん彼女たちがそれまで知っていた、中学の頃のままだったから。ボクがよく知っている/いた彼女たちだったから。でも、それでも彼女たちはアンチだった。アンドロイドだった。一週間で消えてしまう、そういう存在だ。いつもそばにいてくれたのに――現在(いま)はいない。
「その泡沫のような計算結果(ゆらぎ)は確かに信頼性に欠ける、ノイズに等しい欠陥(バグ)と呼べるかもしれない。だからアンチは常にバグを内包しているのであって、先の言葉を否定することはできない。そしてポンコツであることもまた、否めない。なぜならいまだに君はここに座って学校に行こうとしておらず、計画の意味とアンチの有用性を見事に否定している」
「どこが簡単だよ、わけわかんねぇー、マジで言ってんの?」
「むろん、本気だ。雰囲気を出すためのこの口調はいささか、つーか、むしろかなりめんどーくさくなってきたからやめるけど、な」
 す、とまなざしをボクに向けて笑っている。そういう視線がひしひしと伝わってくる。だから「アサダテツヤ」はクラスの中で、特に女子に人気があるのだ、とバカ/アンチ/アサダテツヤが週の初め、自分で言っていたのを思い出す。だから復帰計画(プログラム)の最後に順番が回ってきたのだ、とも。最後――彼で、復帰計画(プログラム)は終了する。過度に進行した少子化と、それへの危機意識というやつはどうやらボクを放っておいてはくれなかったようで、今日まで復帰計画(プログラム)が進行していたのだろうけれど、彼でようやくおしまいになるという。彼で、「アサダテツヤ」で、最後だ。でも「アサダテツヤ」がそんなことを言うのか、そんな自意識過剰なことを。
 違う。ボクは違う、と思う。そこには、その思考には明らかに、プラットフォームの、アンドロイドそのもの視点が存在している。だから、全然リアルじゃない。
「じゃあそういうの、最初からやるなよ、ホントそういうの――」
 それにしてもこのバカの言う「有用性の証明」というやつは、どうやらボクが学校に行って授業に出てクラスメイトと仲良くして部活で汗を流して修学旅行ではしゃいで学園祭でライヴして夏休みにはみんなでプールに行って――なんにせよ学校生活を楽しむ、ということにあるらしい。決められた枠組みの中で個性を伸ばすことにあるらしい。
 ボクはまた、座る位置を一メートルずらした。バカの笑顔が硬化するのが、わかった。だから顔を向けて、正面から笑顔を見つめて、言ってやる。端的にボクは、言う。
「そういうの、マジでウゼェ」
「うわー嫌われちゃったなぁ、おれ」
「うん、嫌い。今までのなかで一番嫌い。こんなのが同じクラスにいるって考えただけで、行く気も失せる」
「インストの順番、まちがえたかな……まぁ今さらか、な。いや、でもまちがってはねーし、うん。――つーかなんでそう思うよ、ん?」
 そういうところだ、とは言ってやらない。絶対に言わない。そんなふうに簡単に踏み込んできて、でも決して不快には感じない、その潔さだ、とは言ってやらない。だってそれは「アサダテツヤ」自身のであって、隣に座っているバカのではないから、たぶん。入学式とその次の日しか学校に行っていないボクには彼と会話した記憶はないから……、たぶんないから正直言ってよくわからない。けど、それでもわかることがあって、それは先週までのアンドロイドとの会話――彼ではなくてかおちゃんやあきちゃんがインストールされたアンチとの会話では、そんな部分は微塵も感じなかった、ということ。だからボクは、それを「アサダテツヤ」固有の性格だと考える。そういう違いはちゃんと再現されるから。
 ボクは河を見る。アサダテツヤ/アンチ/バカから視線をずらして、河を見る。水面は流れているのかとどまっているのかわからない、ぐらい動きが見えない。でも河には当然、浅瀬も深瀬も早瀬も遅瀬もあって、一年の水量の変化でもって水面下でもこくこくとそのかたちを変えている。水面上でも、中州が大きくなったり小さくなったり、護岸が見えたり隠れたり、する。でも、いまは、ぎらぎらと夕暮れの光がすべてをのみ込んで水面は、静かに、だけど獰猛に、そこにある。きらきらギラギラ、そこにある。そのことに気がついてボクは――あー、やばいなぁ、と思うけれど涙をぬぐったり顔を隠したりはしない。絶対に、しない。自分が間違っているとも思わない。絶対に。
 バカも、気にしていない。
うーん、と一度大きく伸びをして、首をぼきりぼきりと鳴らして、白のスニーカーの靴紐をほどいてむすんで、座る位置をずらそうとして――でもやっぱりやめて、こっちを、ボクのほうを向く。それがボクにはわかった。でもボクは、河を見ている、見つづけている。どぼん、どばん、ケラケラげらげ――河下から強い風が吹いて、笑い声がちぎれる、吹き飛んでいく、ボクには聞こえない。
「――つーか、もう言わないんだな、ボクって」
 思い出したようにバカが、言った。言葉は小さかったのに、はっきりと聞こえる。耳に残る。ボクは思い出す。この脅威的な、潔い踏み込みを、思い出す。だからボクは横目で、バカを見る。バカは泣きそう、に見える。どうしてかバカまで泣きそうに、見える。ボクは思う。思い出したことで、理解する。そうか、こいつ/バカ/「アサダテツヤ」だったのか――理解すると同時に、ボクは拳を振るっている。


 ボクはこうみえて護身術が使える。それもおそらく、攻性の、護身術だ。数少ない子どもを、常在する低強度の危険から守るため、真に実のある護身術を習わせるのが親の教養の証明である現在(いま)、そういった大人の事情とはまったく関係ないところで、ボクは必要に迫られて修めた。訂正、大人は関係していた。でも教養の証明という意味じゃない、ということだ。もっと動物的な意味での、証明だ。常在する低強度の危険の、その証明だった。
だからボクは他の、もっと一般的な護身術について詳しく知っているわけではないのだけれど、一般に護身術と呼ばれる生存技術(スキル)は危機を回避するための手段として考案されたはずで、まず脅威から逃げること、そのチャンスを作り出すことが前提にあると思う。だから、恐怖で身体がこわばってしまわないように、声で、大声で、悲鳴で自分を鼓舞する方法を真っ先に教わるんじゃないのかと、ボクは思う。もちろんボクの修めた護身術も、最初に声の出し方を教わった。
 でも、意味が違った。
 威嚇――距離を、間を、スペースを確保して、流れを自らに引き寄せるための、攻性の、悲鳴。
 だからボクは、バカの潔い踏み込みと想起された過去の記憶に脅威を感知して排除すべくほとんど反射的に、刷り込まれた身体感覚をなぞっている。
 ――うわあああああああああ吼えながらボクは、拳を振るった。右の裏拳が、「アサダテツヤ」の性格がインストされたN・Oを持つアンチ/バカのあごへと吸い込まれていく。バカは声に驚いて目を見開いていて――――次の瞬間、ぐりんと白目をむく。かくん、とあごが落ちるように口をあける。裏拳はバカのあごを打ち抜いて、振り抜かれて、夕焼け空を一瞬だけ背景にして、体育座りの膝の位置に、戻っている。少し、手の甲が痛い。
 白目をむいたまま、バカの顔がゆっくりとずれてメガネがずれ落ちて、身体もメガネを追いかける。力を失った身体も土手の傾斜にあわせてくずれて、転がっていく。ゆっくりと加速して、雑草の上をごろごろ転がっていく。一度大きく跳ねて、護岸のコンクリの上で停止する。動かない。水切りの、石投げのがきんちょが三人、あっけに取られたように、それを見つめている。近寄っていく。死んだんじゃねぇ、と言いあっているのが聞こえる。三人のうちのひとりがじゃんけんに負けて足を伸ばして、バカをつつく――バカの上半身がむくりと起き上がる。笑い出す。けたけたげらげら笑い出す。がきんちょが逃げ出す。自転車に乗ってがきんちょが逃げる。ぎゃあああああ悲鳴が遅れてがきんちょたちを追いかける。ぎゃあああああ叫んでバカが立ち上がる。ボクを見あげて「すっげ」とつぶやいたのが口の動きでわかる。メガネは当然ない。裸眼。しかし迷うことなく、片足でけんけんしながら土手をのぼる、こちらへのぼってくる。左足の、ジャージのすそがぷらぷらゆれている。身体の動きにあわせて前後左右にゆれている。だからけんけんしてのぼってくる。板を片方なくしたスキーヤー。そんなイメージ。バカは途中で足を、びっくりするぐらい白い左足を拾う。その時になってようやくボクは、理解する。バカ/アンチ/アサダテツヤは義足だ、と。
 バカは、復帰計画(プログラム)用アンドロイドとその制御AIは、インストールされたクラスメイトに合わせて、身体をカスタマイズする。服装をカスタマイズする。髪型を、顔のかたちを、表情の作り方を、髪のいじり方を、スカートと靴下の距離を、スペック上本当は必要のない最新のモバイルデヴァイスを、身体の傷を、ロスト・ヴァージンの記憶と傷を、自身の身体へと与え改変(カスタマイズ)し続ける。だからアンチの身体はインストールされたクラスメイトの身体だった。だからアンチが義足なら、当然「アサダテツヤ」も義足なのだろう。でも、最初に組み敷いた時にはそんな感じはしなかったような――、
「どうした、ん?」
 手が目の前にあった。バカが立っていて、義足は左足の位置に収まっていて、右手がボクの目の前に差し出されている。立て、という意味なのか。せっかくだからつかんでやる。引っぱられる。押してやる。それを見越していたのか腕を引くだけでバカはバランスを保つ。均衡。悔しくなって今度は引く、と見せかけて余力を残した状態でバカが反発してくるのを待って押そうとするのだけれどバカはそれをも見越していて思いっきり手を引くからボクはお尻が浮いて立ち上がってその勢いのまま土手を転がりそうになる。
 でも、転がらない。
 とどまっている。
 ボクは。
 とどまっている。
 でも、立っている。
 バカは、左足を前に右足を後ろにして、つないだ手を一本の線にして、しっかりと立っている、均衡を保っている。土手を転がらないよう、ボクを支えている。
顔は――見ない。ボクは見ない。手を振り払って、ボクはどしんと、座る。座って膝のあいだに顔をうずめる。河も見ない。雑草のすきまにオレンジ色をしたアメ玉が、ひとつ。
 バカも、座る。メガネを拾い、かける。見なくても、わかる。空気が震える。音がそう伝えている。
「ほんとは、さ」
 バカが言った。
「謝りたかったんだ」
 ボクはなにも言わない。


     ***


 ほら、おれさ、杉山と中学違うじゃん。家も、河向こうだし。義足のリハビリでガクエンセーカツ、っていうのにもブランクがあったしさ。だから知らなくて。
いや、でもそれを無神経だったことのエクスキューズにはできないってのは知ってるけど、ね。それは、さ。おれだってわかるよ。
 最初は聞きまちがいかと思ってさ、だれか男子でも茶化して「ぼく」って言葉が出てきたのかと思ったけど、別にそんな雰囲気で杉山と結城と浅川が話してる感じでもなかったし、それでおれ、気がついたら聞き耳たてて、杉山がボクって言うのが聞こえたんだよなぁ……、ほら確か昼休みで、さ。がんばったよ、近くじゃあバカやってるやつもいてすげぇうるさかったし。ほら、やっぱり女子が、っていうか女の子がボクって言ってるのは不思議なわけですよ、なんかね。好奇心っていうのは抑えられない年頃でして、ね。ついつい、訊いてしまったわけですよ。
 ――にしても、あん時はほんと驚いた。結城と浅川は真っ青になってるのに、杉山だけ、妙に自然体でさ。周りは動揺していないことをがんばって隠そうとしてるのがもろバレで、それが伝染して、昼休みのうるさかったクラス全体がなんか同じベクトルでおろおろし始めて、でもどうやらおれだけが事情を知らないみたいで、なんか悔しくて、さ。だから言ったじゃん、あれは傑作だったなぁ、まだ憶えてるしね。
「なんだよ、おれだけ仲間外れかよ。おれにも教えてくれよ」
 インフォームド・コンセントは大切だ、っていうスタンス。ほんと笑えないよなぁ。
 そうしたら胸ポケットからアメ玉出して口に含んで、平然とした顔で言うじゃん、杉山。右足が払われて――気がついたら肩が極まってて動けなくて、全然動けなくて。でも背中に杉山がいることがわかって、顔が近づいたのがわかって、女の子のにおいがして、おれの耳元でぼそぼそって、杉山。
「ボクは護身術。ボクは男の子じゃないと――」って。ぞくぞくした。話の中身も、そうだけど、ぞくぞくした。だからなんとか顔を見てやろう、って思って首をひねって、見た。
 そんとき、おれは謝らなくちゃいけない、と思った。ここで自分の無神経さを諧謔でごまかすのは卑怯だ、って思った。おれのほうがお兄さんなのに、年上なのに、長く生きてんのに、ってさ。でも、ほんと今日も、さっき……殴られたしさ、まだまだがきんちょですよ、ほんと――お、驚いたな。なにも言わなくても、わかるぞ、空気、動いたし。
 説明しよう、ケガ自慢だ。まぁこれも悪趣味だけど、さ。中三の夏に発病。入院に一年。リハビリに一年。正味二年間、医療企業体にいたことになるかな。だから単純にふたつは、年上だな。足の腫瘍はうまく切除できたんだけど、そのあとの義足との神経接続(マッチング)が思うようにいかなくて、あそこはいくらでもわがまま言っても決して誰も見捨ててくれなかったから、ほんといい場所だったし、このままずっと居座ってやろうかなぁって、思って駄々をこねてたら復帰計画(プログラム)が発動してて、あれよあれよという間に、けっきょく高校生やってるし、ね。おれってほんと。
 いや、でもまんざらじゃねぇんだよ、コーコーセーってのも、さ。
 ほら、義足でも、バスケができるって言われたら、やってみたくなるじゃん。前みたく走れるって言われたらさ。正直そろそろ読書するのも飽きてきてたし、リハビリじゃあ使わないような筋肉も使ってみたかったし。中学の時はベンチウォーマーのスコアラー止まりだったから。こんなんじゃ治らない治らない治らないよっ足は元に戻らないよっ、って泣いてるみたいなのはなんていうか、おれじゃない感じもしてたし、さ。こんなの違うよなぁって。いまはなんとか、足も言うこと聞いてくれてるし、スリー・ポイントも入るようになったし、ディフェンスもザルってわけじゃないんだぜ。いや、護身のほうはあいかわらずぼろぼろだけど、さ。
 まぁ――それで学校行って、無神経さをばらまいて、いま、ここにいるようじゃ変わらねぇよ、ガキだよ、マジで。
 結城の糾弾もそうだったけど、浅川の同情の方が正直きついんだ。
 なぁ、杉山、おれのことが嫌いなのはアンチからも聞いてたし、今日のでもよくわかったけど……なぁ、だから――頼むよ、こっち、見てくれ。


   ***


 思わずボクはふりむいてしまった。
 だれから聞いた、と言った?
 どうしてこのバカには部活の記憶が、コーコーセーの想いが、ガクエンセーカツの記憶があるんだ。なんなんだ、こいつ、この違和は。どうしてこんなに、なにを本気で悩んでいるんだ、アンチのくせに――――ボクはバカの顔を見た、見あげた。
 顔に、メガネの黒ぶちに沿うように傷があった。さっきまではなかった傷があった。血がにじんでいた。うっすら赤い。痛そうだった。土手を転がったときにできた傷。赤い傷。
 そうか、バカは――思わずボクは、手を伸ばす。ボクがつけた傷へと、思わず手を伸ばしている――血のあたたかさを、確かめるために、ボクは手を伸ばしている。
手が、届く。
 その時、妙な声が、聞こえた。土手の南のほうから、声がやってくる。大きなかけ声だ。ほら、だんだんと近づいてくる。
 おーやっほいやっほいやっほい。おーやっほいやっほいやっほい。
「やっべ」
 つぶやいて、アサダテツヤは立ちあがって土手の上の、舗装された道へと、走る、駆け出す。
かけ声の、同じジャージを着た集団に合流する。集団は速度を、少し落とす。先頭の背の高い、たぶん三年生が大声で、
「なにしてた?」
 彼はにへらにへら笑いながら、
「いや、義足の調子が」
「おいおい一週間休んだだけでそれか? アンチのほうがよかった、なんて言わせるなよ?」
「もう大丈夫っす、走れます」
 言って、彼は最後尾につく。
 集団は走り出す。
 声が、風に負けずに、響く。
 最後尾、彼がふりむく。後ろ向きで、器用に走り続ける。
「――わりい、また明日、学校で、必ず!」
 必ず言うから、そう言って、アサダテツヤは胸の前で両手をあわせてみせた。
 ボクは立ち上がる。土手の傾斜に合わせてバランスを取って、立ち上がる。
胸ポケットからキャンディを取り出して包みを開けて口に含んでがりがり噛み砕いて、彼のほうを見て、それから、もうすぐボク/アタシはサヨナラを言う。




【了】