すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『ダークナイト』クリストファー・ノーラン

 面白かった!凄かった!長かったけど長さを感じなかった!「映画」を観た!って思った!
 ジョーカーが半端なく恐い。不遜すぎて、あるかなしかの倫理感ががんがん侵されていくのがわかる。動きとか行為も含めてだけれど、その理念がまずなによりビリビリ恐い。
 つかあんなめちゃくちゃ恐いジョーカーに、どうやって「勝つ」のかと思ったら、おれは無理だろこれっと思ってたので!……やぁあれにはやられましたわ。
 顧問の弁護士がバットマンの正体について追求する時に、やわらかく言い返すモーガン・フリーマンがかっこよすぎる。泣きそうになった。マイケル・ケインもそうだけどバットマンにはなんとまぁ有能で信頼の置ける友人がおるのだろうか、と思った。
 でもやっぱり不殺や世界精神型悪役についつい注意がいってしまうのはなんというか修行が足りない。
 あとずっと暗い夜だと思ってたら暗黒の騎士だったのでおれ英語よめねぇ〜って思った。
 で、パンフ買っちまった。
 観たあと、車の運転中、普通にバットモービルを運転している気分に襲われる。いや運転してました。脳内補正かかりまくり。


 言い切ってしまうけれど『ダークナイト』の目玉はジョーカーだ。

 ジョーカー。

 ジョーカーの恐さは、ぱさぱさに乾燥して触っただけで一瞬にして燃え上がってしまいそうな、札束に似ている。過去/トラウマや未来/不安なんかとは別種の、ある意味孤高と呼んで差し支えのないその場にただ在るだけの、狂気。あんなメイクをしているのに、体臭がぜんぜんしなさそうな、煮詰まって乾き切っている感じ。「交渉も何も通じず、世界が燃えているのを見て喜ぶ男」。タンカーの中で燃えるマフィアの資金のイメージ。「口が裂けるほど笑わせてやるぜ」しかしながら決して楽しそうではない目、笑ってはいない目、バットマンダークナイトに対抗するため純粋悪意の体現。

 世界が燃えているのを見て喜ぶ、というのは「欲」とはどうにもかけはなれているのではないのか。好奇心/知識欲が権力と結びつくものであるのだから、その規範やシステムすら燃やそうとしているジョーカーはやはり「欲」とは対極にあるのではないのか。
 この点に気がつけたのが、ドナルド配色のジョーカーを見たからだ。「腹が裂けるほどに食わせてやるぜ」食欲が重なったさいに不意に浮かぶ、猛烈な水っぽさ。

 その関連で浮かんだのが『シン・シティ』のイエローバスタードだった。ドナルド配色のジョーカーはどうにもイエローバスタードに似ているのだ。その性欲/食欲だらだらの水っぽさが。『シン・シティ』の演出では画面の徹底処理で、におってきそうなほどに黄色い悪役だったイエローバスタード。その水っぽさが、ブルース・ウィリス演じる刑事のハードボイルドさと対比させるためであることは自明であるように思う。


 もちろん、ぽかんと放り出された悪意としてのジョーカーに、背景のようなものが用意はされているけれど、そんなものの必要を感じないほど、ヒース・レジャーの演技がキテいるのである。ああ、こいつはいるなぁ、とあの演技だけでジョーカーが立ち上がってくる。恐い、と思うのだ。もちろん『ダークナイト』には上記の水っぽい悪役も存在するけれど、いやさその悪役が哀しいものであるに対して、ジョーカーはただただ恐いのだ。