ブックスエコーロケーション

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円城塔『Boy's Surface』

Boy’s Surface (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

Boy’s Surface (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

 感想を書くといってだいぶ日が空いてしまった…。
 先日もどこかで書いたけれど、『Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)』に較べてかなり突き抜けて書いていて、それだけ円城塔が各話でやりたいことがわかりやすくなっているのではないのか、と思うのだ。もちろん彼のロジックを完璧に理解しているわけではないし、別に理解すればおもしろいのか、というとそれも違うと思うのだ。おれの感想は「何が書いてあるのか、すごいことが書いてあることはわかるのだけれど、円城塔の観測方法はどうやらおれとは決して相容れない方法を採用していて、そんな観測の仕方で見た世界をようもまぁ言葉にして、小説にして提示できるもんだ、それがもうなんだかとにかく前代未聞。前代未聞?そいつはすげぇーってことだ!」につきるのだし、これに収められている4編はそういう感情をもたらしてくれるには至上の「小説」だ。
 しかし思うに、断章と断章があって前後の断章の整合性、というか文章と文章のぱっとわかるレベルでの整合性なんてものは存在しないのに、おれはどうしても連関を探してしまう。物語を読み取ろうとしてしまう。おれがかつて経験したこと、記憶にひっかかりそうな出来事でもって断章の隙間を埋め立てて新たな物語を創出する。物語の創出、「Your Heads Only」はまさにそいった読者の内実というか作業というか「読書」そのものを「小説」にしようとしているんじゃないんだろうか、というのをとても強く感じた。そしてそういうものを書くことでなにを発見しようとしている、とも。
 にしても、これで頻出した「20世紀」にどんな思いというか試みが込められているのか。今世紀になってから自我に目覚めた人間には、いまいち想像しにくい単語ではあるのだけれど、まぁもちろん円城塔はそうでもないのかなぁ。文學界の対談が大いに読みの一助になっていることは言うまでもないけれど、それでもまだまだわからんことが多いし、だからこそまだまだ読んでいきたい作家であるのだなぁ。