せまるニック・オブ・タイム―フルメタル・パニック! 10(富士見ファンタジア文庫)
- 作者: 賀東招二,四季童子
- 出版社/メーカー: 富士見書房
- 発売日: 2008/02/20
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 175回
- この商品を含むブログ (178件) を見る
おれさ、このシリーズさ、中学生のころから、読んでるわけ。そのモンコレやってたし、四季童子のイラストも大好きでさ。このあいだこのラノで一番だったのもずいぶんうれしかったし、ロボット物で仮想戦記でさ、キャラクターだけではない部分でも十二分に楽しめる、そういう「小説」としても読めてたわけなのよね。もちろんライトノベルだけどさ。絵と文とキャラクターと既存のアニメ・マンガの見事な脱構築の、なかなか稀有なコラボだったわけで、ずいぶんと楽しませてもらっているわけよ。はぁ10年だよ。おれ小説書いてまだ6年かそこらなわけよ。だからさ、ここからはもうネタばれするしかないから折りたたむけど、ほんとね、すごくせつないわ。
10年もつきあっていた、友人が死んじゃったみたいなさみしさがある。ぽっかりと、ね。いやさ、死亡フラグは立ちまくっていたから、あーこりゃね、やばいかなぁと思っていたのだけれど、ほんとうにほんとうにうーん。。。クルツ・ウェーバーが死にました。誇りを持っていたかはわかりませんが、彼は最後まで戦って死にました。四季童子の、入魂のイラストがほんとうによくてさ、それを左の頁に文章がつらつらあってね、いやぁ泣きはしなかったけれど彼は「ああ生きているんだなぁ」って思いました。もちろんそういう思いを抱かせるような時間があるだんもんね、勝てないよ、そりゃさ。 やっぱりね、宗介の「死すらも生の一部」という考えを描ききるためには、やはり彼には「戦い、そして誇りを持って死ぬ」という役割をやってもらわねばならんかったんでしょうねぇ、と。10年という時間を使って読者の記憶の隙間に入り込み住み着いていた登場人物を殺すことによってのみ描くことができる、読者に真に「生きていた」と思わせる、なんとも地味で、しかし実に効果的な作者からの攻撃なわけですよ。まぁだから、おれはクルツとマオがそういう関係になったのは、死亡フラグというよりも、なんというかクルツへの作者なりの「ご苦労さん」という意味合いがあったのかなぁってね、誤読します*1。それでなんかね、ああこういう風にキャラクターへの愛にあふれた小説を書きたいなぁって、読者にこういう風に感じてもらえるようなそういうものがもっと書けるようになりたいなぁって思いました。
ウィスパードの謎解明という点ではまさかかなめがレキオスだったとは!というか、なんで気がつかねぇんだよおれ、と笑ってしまった。彼らが主人公であることで巻き起こされる危機あるストーリー、しかしながら当然主人公は死なない。それそのものの理由が、実のところ彼ら自身によって危険が操作されていたからだ、という人を食ったような伏線の回収方法は、なんというかシリーズ物の物語がどうしてもはらんでしまう「あざとさ/うそ臭さ」を見事に回避してみせているのでは、と思い、すっげーなぁと思ってしまった。にしても、どんどん歴史改変可能世界もの/シンギュラリティSFになってきたなぁ。それのオムニ・スフィアのおまけとして、それを発動するための拡大身体感覚装置=アームスレイブってのも、なかなかやるなぁ、と感嘆するだけ。ほら、アルが自身の身体を再設計できたのはひとえにアーバレスト時の経験/身体感覚が役に立っているってのと、リンクするじゃん。
まぁおれって結構素直な読者なので、そのあたりは真摯にまじめに受け止めてしまいますけれども。
さて次回で最終巻とのこと。さぁ賀東招二*2よ、見せてもらおうか、あんたの意地を。