- 作者: 宮内悠介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/04/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ぼく自身、非難されないことを目的にずっと科学リテラシーを鍛えてきたところがあるので、例えば、下記のようなツイートを見かけたときも、そうだよなぁと思えるし、ふぁぼってリツイートのひとつもしたくなる。
疑似科学と陰謀論とオカルトが親和性高いのは、どれも「地道な努力の積み重ねを要さずに世界観を転倒させるだけで他人より優位に立てる方法」、つまりルサンチマンの発露だから。いくら批判者が「正しい知識を」と言っても、その「正しい」秩序の中では彼らはヒーローになれない
— スドー (@stdaux) 2016年7月6日
だが、宮内悠介は今作で疑似科学をただ揶揄することにとどめず、観察者たる主人公をその役割から逸脱させていく。そこには、ぼくもそうなる可能性があり、そもそもすでにそうなっているかもしれない、弱者によりそおうとする姿勢が描かれているように思った。同時に、そのむつかしさも。
『ヨハネスブルグの天使たち』、『エクソダス症候群』、「半地下」、『アメリカ最後の実験』、そして今作『彼女がエスパーだったころ』を通して、痛みを知る人の持つやさしさと、誠実さを感じている。これからも追いかけて行こうと思っている。
余談ではあるが、だからこそこのような分析もできるのかなとも思った。
安倍首相がなぜこう強いのか、自分なりに考えてみた。メディアへの根回しとか、第一次政権での失敗の教訓とか、いろいろあると思う。でも一言、「出来の悪い人の気持ちがわかっている」(少なくともそう見える)――これに尽きると思う。そしてそれは、インテリリベラルにはけっして真似できないとも。
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2016年7月6日
首相の言は、インテリリベラルからすれば、軍国主義的で、勇ましいばかりで具体性を欠くように聞こえる。でも、また別の視点からは、「自分たちの場所まで降りてきてくれた」ように見える。そう感じるのは、これまで疎外されてきた人たちだ。「B層の取り込み」といった戦略論を超えた何かがあるのだ。
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2016年7月6日
なぜ、社会的弱者のうち少なくない層が、格差を広げる首相を支持するのか。権力との同化の願望か。ストックホルム症候群か。違う。馬鹿と呼ばれ、社会から疎外された思いは、渇きは、何にも勝る。「わかるように話してくれる人」は、それだけで恵みたりえるのだ。
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2016年7月6日
政治的な立場が逆だと見えなくなるものがある。たとえば、リベラル層は安倍首相の言にエモーションを喚起されない。保守層が三宅洋平にエモーションを喚起されないように。けれど、両者はある意味で、同じ層から支持される。馬鹿と呼ばれ、疎外されてきた層から。
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2016年7月6日
ゴアはけっしてブッシュに勝てない。いや、言ってしまおう。ゴアは、IQが高いというだけで、ある層からすれば、敵であり、搾取する側なのだ。そう考えると、トランプもけっこう有利だ。そんなわけだから、安倍首相の真のライバルは誰かと考えると、それは山本太郎であり、三宅洋平なのだと思う。
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2016年7月6日