ブックスエコーロケーション

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侵襲型デヴァイスの蓋然性

『サイエンス・イマジネーション』を読んでようやく、『ハーモニー』のコンタクトレンズや『電脳コイル』の電脳メガネの設定/非侵襲型ウェアラブル・デヴァイスがとても理に適っている、というかさすがにまだ人は頭に電極をぶっ差してまでネットにつながろうとはしないだろうな、ということがわかってくると、いま書いているやつの「目にデヴァイスを入れる」というやつが、なんかおれのなかで説得力を失ってきたわけです。
 なんで目にデヴァイスをいれるん?という問いには、通過儀礼として「おとなになると膨大な情報を直感的に扱えるよう、デヴァイスと脳を直結し、より直接的に拡張現実を利用するため」というのと「こどもは未完成=画竜点睛を欠く、だから」というようなことを考えていました。
 ただ上記の方法があれば、そんなことしなくても情報は扱えるじゃん、ということなんですわ。侵襲型じゃなくても大丈夫と。いまのわれわれだってネットブックとケータイがあればなんとかなっている。
 じゃあどうすんべ、となったのでなにかのついでのときにASAVAくんに相談した。
「目を入れる……目に何かするっていうのは神話では潰すと同義なんですよ」とかなんとか言われました。
 んで、ああ、となったのです。
 体制側が情報的に盲目にしてしまうためにデヴァイスを用いる。
 おとなになると情報を取捨選択して思考する能力を抑える/減耗させる、ということを目的として、過剰な、しかし意図的に選択された情報が供給される、という設定を追加してみる。
 これなら非合理な「目に入れる」という設定に蓋然性が出てくるのでは、と思ったのでした。
 ええもちろん、いま書いているのはユートピアディストピアものです。彼の作品に応えたいと思うので。