ブックスエコーロケーション

「SFとボクらの場所」をテーマにした本屋のブログです。実店舗はありません。開業準備中。

『彼女の闘い、灰の街』

 ぼくたちの街にはなんにもなくて、ぼくたちの街には四つの書店があった。あえて名前をつけて呼ぶほどのものは書店しかなくて、だからぼくたちの街にはきっと書店があって、たぶん他にはなんにもなかった。
 ぼくたちが書店と呼んでいた書店は大きく二つにわけられて、それはつまり大きな書店と小さな書店だった。大きな書店が三つあり、小さな書店が一つあった。ただぼくたちの間には明確に区別する決まりがあったわけではないから、書店の数は五つのパターンの間をころころ変化した。
 ぼくたちは小さな書店が一つの時に、つまり大きな書店が三つの時に、ぼくたちは彼女に出会うことになった。彼女と出会ったのは小さな書店で、小さな書店は小さな書店だけあって、書店ではなく本屋といった風情で、天井まで届くような大きな本棚が五つ横に並び、照明は暗めに抑えられ、本が焼けるのを避けるために入口は北向きに設置されていた。
 彼女はぼくたちに背を向けて、店内唯一のレジの前でなにか指示するように大きな声で叫んでいるようだった。大きな声で叫んでいるにもかかわらず、なんだかその背中にはヒステリックさは感じられずに、妙な真摯さがにじんでいた。
 漏れ聞こえてくる内容を要約するに曰く、「一八時一八分にレジを通してください」であり「レシートはぜったいに持って帰ります」であり「あたしは別に本が好きなわけじゃないんです、これだって読んでるわけじゃないから」であり「でもカバーをかけてください」であった。
 不意に彼女が振り返り、ぼくたちと彼女は目があった。そのまま彼女の視線はぼくたちの手の先へと、つまりたまたま握っていた本へと吸い寄せられていた。
 ぼくたちが握っていたのはジョン・クロウリーの『エンジン・サマー』だったかもしれないし、アンナ・カヴァンの『氷』だったかもしれないし、ネビル・シュートの『渚にて』だったかもしれない。
 とにかく、彼女はぼくたちの持っていた本を興味深そうに見つめてから、また唐突に振り返って大きな声で叫んだ。びりびりと本屋の窓が震えるようだったのだけれどそれは、外から聞こえてくる遠雷のような爆音のせいだったのかもしれない。
「あ、ほらいま、時間です!」


 南西の空を北に向かって、ステルス性をかなぐり捨てて爆装した《猛禽》をチーム・リーダーに、三機の《電光弐型》が爆音を響かせ、ダイアモンドの形で飛んでいく。
「百里からかな」
 二百年前には完成している地球上でもっともエコロジーな乗り物に乗って、彼女が近づいていることをぼくたちは知っていた。
「どう思う?」
 ぼくたちの背後で彼女が大きな声で叫んだ。ぼくたちにはよくわからなかった。あの戦闘機がどこから来てどこに向かっていくのか、想像できなかった。《猛禽》のスマート・ラックに格納された戦術核弾頭が何万人の人間を焼き払い、ここよりかはまだなにかある街を廃墟に変えるのだと言われても、にわかに信じがたかった。
 彼女はぼくたちの隣を歩いていて、ぼくたちは川原の土手の上にある二車線道路の川原側を、歩いている。川原には串刺しになったダルマが林立しているのが見えた。真っ赤なダルマには墨できちんと目が入れられていて、松の葉で覆われている。
 林立しているサンクローの一つと目が合ってしまって、ぼくたちは思わず立ち止まるのだけれど、彼女はそのまま歩いていってしまう。
「本当は、よくわかっていないんだ」と彼女はまた大きな声で叫んだ。「文献がサンイツしちゃってて」
 散逸、なんて言葉を口語で話している女の子を、ぼくたちは始めて目にしている。あいかわらず、ぼくたちにはよくわかっていなかった。それとも誰もが最初からわかってくれることを誰にも期待していないのかもしれない。だからこそ彼女は叫んでいる。
 彼女は堰を切ったように、叫び続けた。
 世界は常に脅かされている。
 自分は世界を護っている。彼女は自分が護るべきだと知っている。そういう家系なのだという。まれにそういう啓示を受けて、脅威と闘うべきなのだと知るのだという。もちろんその方法も彼女の家系に伝来のものがあるという。
 マンション中にはあふれんばかりの買っても開けていない書店の袋、のなかには読んでいない本と、発行年月日と購入時間がぞろ目のレシート。
 必要なのは、限定された空間/スペースと決められた文字列/プロトコル。その二つからデコードすることによって、救世回路/システムが駆動する。
 しかし二度の大戦と一度の震災で文献は散逸しており、本当に断片的な情報しか残っていない。たとえば、数字のぞろ目が八つは必要であったり、日本語であったり、と、そういう情報だ。
 脅威と闘う方法を彼女は模索し続けている。彼女は闘っている。世界を守っている、ぞろ目の日にちと時間に、書店で本を購入してレシートと一緒にマンションの一室に放り込み、世界が救われる瞬間を、その日が訪れるのを待って、走り回っているのだ。
 ぼくたちは肩を上下させている彼女の背中を見ている。いまも闘っている彼女の背中を。
 そうして彼女は振り返ることもなく、さよならを言うわけでもなく、自転車にまたがると、こぎ出した。
 右に、左に、身体を傾かせ、いきおいをつけて猛然と加速していく。自転車を立ちこぎする彼女は、ぼくたちからどんどん遠ざかっていくのだった。光の先には必ず闇があるように、決して交わることなく遠ざかっていく。
 実際のところ、すでにこの時点で彼女の欧州戦線への転属は決まっていて、そのことをぼくたちが知ったのは彼女がすでに墺太利に上陸したあとのことだった。


 それから二十世紀は怒涛のスピードで最終コーナーを曲がり損なって失墜し、リレーを受け損なった二十一世紀は誰も訪れることのない仮想リゾートの中で永遠の夏休みを繰り返している。ひどく甘美で残酷な夢を見ている。ぼくたちはそのおこぼれにも預かることができなくなっている。
 そう、いつのまにかぼくたちの街にはなにもなくなっていた。書店すらもなくなっていて、灰が延々と降り続けては街をすみずみまで灰色に染め上げていった。ぼくたちはその熱心さに、どこか敬虔なものを感じてしまう。爆音も滅多に聞けなくなった。
 それでも彼女は闘っているようだった。思い出したように復旧して、その間隙を狙いすましたように配信されてくるネット・ニュースの内容によれば、人類はアルプス山脈に押し込められてはいるけれど、まだまだ踏ん張っているようだった。
 最近のぼくたちといえば、ぼくたちを保ち続けるためにぼくとぼくをあの頃に較べて頻繁にスイッチさせるようになっている。そうやって書店のあった場所をスコップで掘り返しながら、本を見つけようとしているのだけれど、どうあっても彼女の闘っている物語を、彼女が自転車を猛然と立ちこぎしている姿を探していることは、とっくの昔に自覚しているのだった。



〈了〉