すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

伊藤計劃『ハーモニー』

 いま書いている長篇とネタがかぶっていた。
 伊藤計劃が長篇第3作、『ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)』ともろにかぶっていた。
 まだ冒頭の過去編の28ページぐらいしか読んでいないのだけれど、
<list:Item>
 <i:子どもが貴重な社会的リソース>
 <i:WatchMeという医療システムを身体にいれるという通過儀礼の存在>
 <i:閉鎖型管理都市国家
 <i:その崩壊の予兆>
</list>
 が、もうほんとに「や!ら!れ!た!」とうなってしまった。
 ここ最近頭の中でぼんやりもやもやしていた事柄がひどくくっきりと、かつソフィスケートされたかたちで「小説」になって目の前にある……。
 タグによって人の体内か都市国家のサーバに「書かれた」物語、大人になると文字列として認識される、というのがもうなんか言語SFしていてたまらないし、WatchMeなんて「見ている」というのと「見て」という両義性の語感がふるえるほどかっこいい。おれはもうただただ「龍眼/DE」としか名づけてなくてだっさいわマジでへこむ。
 まぁどうして似たような感じになってしまったのかについては、簡単に説明がつく。それは伊藤計劃の小説やエッセイやブログやmixi日記をおれが読んでいて、彼の小出ししていた調べ物やすすめていた映画や小説を、おれが追跡してしまったからだ。はからずとも思考をトレースしてしまったからだ。そしてトレースしたくなるような内容だった、ということだ。
 そう、その意味でこの言葉を使うことになる。
 これは、『ハーモニー』はいまのおれのために書かれた小説だ。
 書けなくなるかもしれないほどに甘美なにおいのする、やばい小説ってことだ。
 あーそれにしても、おれの2年間がこんなかたちで手に入るとはなぁ……。


 追記:主人公の名前に「慧」の文字があって「え」と読むとあって嫌な予感がひしひしとしているのだけれど、これってやっぱり「エリファレット・モデル」ということなのだろうか、うう恐い恐い恐すぎる。
 追記2:クエスチョンマークがないのはなんでだ? タグで書く場合は、別の意味が生じるからか? となるとそういう記号だけではなくて、使えない漢字や単語も存在するのだろうか。
 つか、今回はわかるくすぐりが、ハルヒ舞城王太郎ナウシカオブ・ザ・ベースボール、とけっこう多くてちょっとびっくり。