すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『劇場版パトレイバー2』

機動警察パトレイバー2 the Movie [DVD]

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 作品の内外を問わず、社会や組織にコミットしたことを書けば、小説にすれば、たとえライトノベルであろうともセカイ系を脱却できる!*1と息巻いていたのですが、今のところおれには、社会にコミットしたような作品を、実はまだまだ全然書けないことに、昨夜劇パト2を観ながら気がつきました。
 優れた小説は、優れた文明批評装置たりうる。
 小説に変わる言葉にはアニメや漫画や映画であってもなんら問題ないおれではありますが、劇パト2は、アニメ映画という虚構の中で、たった一発のミサイルによって演出された虚構の戦争/クーデタによって虚構の平和を謳歌していた東京が席巻されるという、虚構の入れ子構造を持っており、その二重、三重の虚構性によってある種、戦後以後からずっととりついてきた日本人の左右別ない思想性を脱臭し、われわれになじみやすいという意味での押井節が、つまりかつて誰しもが一度は考えたことがある、「現実/虚構の差異とは」という自問やら思索やら妄想やらを故意にミスファイアすることで、この作品は異常なまでの「リアリティ/説得力」を獲得している。そうして、虚構による現実社会の相対化が行われているのだ。
 この過剰なまでの、思索による検証性と作品を作品として結実させる実践力が、押井守の武器であったとしたのならば、やはりヴィジュアルにしか観るところのないイノセンスはただのくそ映画でしかない、ということになるのでしょうね、なむなむ。
 で、今のところおれはイノセンスのようなくっきりはっきりしたストーリーの小説は書けても、劇パト2のような過剰なまでの思索と検証をともなった物語が書けない、ということなのです、なむなむ……。


 なお、まずmixiで下書きしたのは伊藤計劃とSiphonさんの目がどうしようもなく恐かったからです。でも寡聞であることを恥じずに生きます。

*1:冲方丁シュピーゲル共同戦線など。