すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

ゼロ年代の想像力−決断主義

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20070531/1180589181
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20070616/1181977308
 寡聞にして知らなかったのですが、上記のエントリに対するブクマを見ていると、宇野常寛の論に憤りを感じる人がいるらしいようですね。その根拠はいまいちよくわからないのですが。
 でも、おれはこの人の論が、おれのことを言っているように思えて、どうしておれが古川日出男が「好き」なのかをより明確にしてくれたような、おれにとってかなり「オンタイム」な論であると、http://d.hatena.ne.jp/KASUKA/20070526/1180193415で感情のおもむくまま書き殴っておりますが、もしかしておれみたいな発想はオタクの中でも少数派なのかしらって、そうじゃなければソウブン立ち上げ/運営に際してあんなにズタボロにならないわなぁwwwwwと感慨にも耽ってみる。ま、おれはおれのことを考えさせてくれるような、内宇宙言及的な論が大好きなだけなんですけどね。自分大好きっこなわけで。

 でも、それでも思うに、宇野常寛の連載第一回における功績は、現状/オンタイムをマッピングして、新たなムーブメントを胎動させ、はてな村を盛り上げたことにあるのではないのでしょうか。この、新しいものなんて過去の焼き増しでしか成立できない、と嘆いてみせるだけの文化圏で新たな風を、流れを生み出そうとする、その心意気はたいへん共感できるし、理解もできますから、ね。あと、こういう言い方になるのは、おれが自分を単に消費する側の人間として終わる気がないということの、その表明でもあります。

 うむ、決断主義。お後がよろしいようで。

 なお、おれが古川日出男の骨頂で「好き」だと感じるのは、『LOVE』や『二〇〇二年のスロウ・ボート (文春文庫 (ふ25-1))』の自己肯定感とサヴァイヴ感にあるのでは、といまさらながらに書いてみます。ま、じゃないとブログのタイトルをこんな風にはつけたりしませんわ、な。