すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『中国行きのスロウボートRMX』

村上春樹の名作を若手作家がトリビュート。
この文章は僕自身のエクソダス――『出トウキョウ記』であり、その失敗の記録だ。/具体的にいえば僕は三度脱出できなかった。(中略)いずれにしたって僕たちは有限なんだから。つまり、僕たちは生命体であり、だったら必滅の存在だ。/死。/僕はその限定について語る。

今日はこれが、彼が、ぼくのバイブルとなる、その理由を説明しようと思う。「有限のジャパニーズ」でもって果敢に、挑みかかってみる。妄想を、棄てない。算段を、練りつづける。そう決めた、ぼくは決めたのだ。



はい、かっこつけましたすみません<(_ _)>
上みたいな文章じゃあ処理がおっつかなくて脳みそがパンクします。
レビューを書く時と小説を書く時は、やっぱり使ってる脳みその部位が違うみたいです。脳が情報をとらえる部位はたぶん一緒なのに、変なの。


この作品は、「古川日出男」というファクターを通すことによって「村上春樹」を「古川日出男」視点で俯瞰し、共通認識を楽しむ、といったところでしょうか。
ただわたくしは当たり前のように古川日出男に好意的な姿勢でございますので、そりが合わなければそういう楽しみ方はできないでしょう。って当然のことを言っても仕方がない。
考える。箇条書きにして。
どうしてわたしは古川日出男に魅力を感じるのか?
ひとつ、彼の書く文章のリズムが、おれの文章を読むリズムに近似しているから。
ひとつ、彼の言語感覚が/言葉を選択するセンスが、おれのそれと近似しているから。
ひとつ、彼の書く作品の通奏低音に、おれのどっか根っこの部分でハウリングしてるから。
ひとつ、彼の物を書く姿勢が(たとえそれが作家像の演出であったとしても)とってもパンクだから、書くことに対してすっごいストイックだから。
こんなもんでしょうか……や、この感情の高ぶりをすごく恥ずかしい言い方で表現すれば、これはおれのために書かれた小説だ!ってことです(笑)


えっと書くことがだんだん脈絡なくなってきてしまったのでええっと、、、つまりまとめると、古川日出男は、今のおれにとってピッチランナーの役割を持っているようです。
バランスを、エンタメと純文と、その境界を測ってくれます/小説でもっておれに教えてくれます。
目指す方向を、スタイルを、おれの中で浮き彫りにしてくれます。
だから、読むのだと思います。
だから何度も、読み直して読み直して、自分を計測していこうと思っています。
Rさま、本当にすばらしい誕生日プレゼントをありがとうございました。