ブックスエコーロケーション

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やつはみ喫茶読書会三十九冊目『九尾の猫』@半杓亭

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

九尾の猫〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 やつはみ喫茶読書会三十九冊目『九尾の猫』@半杓亭
 2016/07/30(土)開場15:00 開始15:30 終了18:00
 課題図書:エラリイ・クイーン『九尾の猫』ハヤカワ・ミステリ文庫
 作品内容:次から次へと殺人を犯し、ニューヨークを震撼させた連続絞殺魔〈猫〉事件。すでに五人の犠牲者が出ているにもかかわらず、その正体は依然としてつかめずにいた。指紋も動機もなく、目撃者も容疑者もまったくいない。〈猫〉が風のように町を通りすぎた後に残るものはただ二つ――死体とその首に巻きついたタッサーシルクの紐だけだった。過去の呪縛に苦しみながらも、エラリイと〈猫〉の頭脳戦が展開される。待望の新訳版。
 場所:半杓亭
 費用:お茶おやつ代600円(この会でしか食べられない、おいしいおやつがでますよ~)
 定員:12名。要予約。定員に達した場合も告知いたします。
 予約先:初めて参加されるかたは、yatsuhamicafe.reading(at)gmail.comに名前と連絡先、アルコールの出る二次会の出欠を含め、ご連絡ください。

今回は10名の方が参加されました。総じてクイーン・マニアのかたがいろいろと解説してくださいました。個人的に興味深かったのは、戦争の大量死に対抗するために推理小説が名指しの死を与えた、という話でしたが、よりパズルに特化していった(ようにぼくには思える)新本格ミステリは、登場人物をより記号化/キャラクタライズしていく傾向が強かったのではないのか、などと思ったのでした。うーむ?

ライトノベルSF12(第23回電撃小説大賞1次通過)

電撃大賞 1次通過作品

 今日発表があり、拙作が第23回電撃大賞電撃小説大賞の1次選考を通過した。1次を通過するのは3年ぶり3回目か。 今回は小説作品の応募総数が4878で、そのうち1次通過が661、内訳は長編が536作品、短編125作品とのこと。せめて前回よりもいいものを書く、ということでやってきたわけなので、ひとつ結果が出てほっとしている。多くの人に手助けしてもらった作品なのでよけいに。例年通りであれば2次の発表は8月だ。それまでわくわくして暮らせるのはありがたいことだ、と書いてて思ったが最近はSFの仕事ができているのでけっこう充実しているのだった。あ、でも、評価シートは楽しみだなぁ。

宮内悠介『彼女がエスパーだったころ』

彼女がエスパーだったころ

彼女がエスパーだったころ

 匹目の猿、エスパー、オーギトミー、水伝、代替医療――疑似科学やオカルト、超常現象にハマってしまう人々をルポライターの「わたし」の視点を通して描くフェイク・ドキュメンタリー。 あらゆる事象の霊性を科学が腑分けしていった先に人類に残されたのは、信仰を失ったことによる自死しかないのか――。
 く自身、非難されないことを目的にずっと科学リテラシーを鍛えてきたところがあるので、例えば、下記のようなツイートを見かけたときも、そうだよなぁと思えるし、ふぁぼってリツイートのひとつもしたくなる。

が、宮内悠介は今作で疑似科学をただ揶揄することにとどめず、観察者たる主人公をその役割から逸脱させていく。そこには、ぼくもそうなる可能性があり、そもそもすでにそうなっているかもしれない、弱者によりそおうとする姿勢が描かれているように思った。同時に、そのむつかしさも。
『ヨハネスブルグの天使たち』、『エクソダス症候群』、「半地下」、『アメリカ最後の実験』、そして今作『彼女がエスパーだったころ』を通して、痛みを知る人の持つやさしさと、誠実さを感じている。これからも追いかけて行こうと思っている。
 談ではあるが、だからこそこのような分析もできるのかなとも思った。