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すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

園子温『希望の国(2012)』

 東日本大震災から数年後の20XX年、日本、長島県。酪農を営む小野泰彦は、妻・智恵子と息子・洋一、その妻・いずみと満ち足りた日々を送っていた。あの日が来るまでは。長島県東方沖を襲ったマグニチュード8.3の地震と、それに続く原発事故は、人々の生活をたちまち一変させる。原発から半径20キロ圏内が警戒区域に指定される中、強制的に家を追われる隣の鈴木家と、道路ひとつ隔てただけで避難区域外となる小野家。

 『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』の園子温監督・脚本作品。実はこの監督さんの作品は初見。届いている範囲から観測して変化球を投げるのがうまいひとなんだろうなとぼんやりイメージを持っていたら、びっくりするぐらいストレートな作品だった。でもストレートという言葉から勘違いしてもらいたくないのは決してこの映画は日本のエネルギー政策が云々という方向で描かれているわけではないということだ。世代の違う3つの夫婦を通して描かれるのは圧倒的な現実を前にして自分ならどう納得して生きていくのか、という非常にまっとうで普遍的なテーマだ。モチーフとして原発が選ばれているためにそれだけで過剰反応を誘発しそうではあるのだけれど、非常に力強く映画的な文法に則って、つまりとてもベタな演出によって人々の悲劇*1が強調される。そしてそういう部分がまだ存在しているにも関わらず忘れていたことを、劇映画であるからこそつきつけられた。自分ならどう納得するのだろうかどうするのだろうか、とキャラクターたちをロールモデルとして、自分に引き付けて考えることができる。そして前述では現実と書いた部分を暴力という言葉に置き換えることもできるだろう。善悪の問題ではない圧倒的な暴力に瀕した時、恨む相手を持ち得ない/恨んでもどうしようもない状況において自分に何ができるのか。園子温はこの、優れて強力な映画を撮ってみせた。じゃああなたはどうするの、とおれは観ました。つうかモチーフとの距離のとり方がマジ絶妙ですごいですわ。きっと他作品もそうなんだろうけれど、だからこそ実在の事件をモチーフにしてもそれに引っぱられることなくちゃんと映画にできるてるのだろうなぁと。いやぁすごくいい映画でした。
 で、ここからは無神経なことを書きますので気をつけて下さいね。
 この映画を見て、自分がそんなに土地に根差して生きていないんだな、だからこのあいだ観た『ミュンヘン』で描かれるイスラエル人とパレスチナ人の会話シーンがうまくうなずけなかったのな、と。地元で6年、大学で4年、現住所で6年と、自分を形成した土地を移ろってきた身としてはどこまで行っても仮宅意識というか、どこでもなんとかやっていけんじゃね、という感覚があってどうしてそこまで土地に拘るんだろうなぁと思っていたわけですが、『希望の国』を観てようやくディアスポラっていうのが自分にとって真に迫る。それを勘違いして日本人が震災によってようやく、圧倒的な暴力を前に土地を追い出されるという感覚を獲得した、園子温がそのことを看破した、みたいな表現はきっと誰かが言うと思うけど、獲得したのは映画を観たおれであって日本人全体ではないと思うわけでそこまで飛躍はしませんので悪しからず。作中でどこでも生きていけるということは何にも頼らないということを選択することだ(大意)、という説諭のシーンで、ああそれは辛いし悲しいなと思わせられてしまいましてなるほどな、とw というか意外に自分の中にまだまだ土地に根差した社会化が機能している部分があるんだなという驚きもありますね。文化の方舟として人類、まだどうやらその一員のようであるのなー、と思いを新たにしたのでした。

希望の国

希望の国

*1:悲惨ではなく悲劇であることが、この映画をフィクションたらしめていると思うわけです。