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すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

ロールシャッハには届かない。


 こんな文章を書くぐらいだったら小説を書いていたほうがどんなに生産的であろうとも、しかしこの気持ちをちゃんと言葉にしておかなければ負けてしまう、そう負けてしまうのだから勝つためには手を動かすしかない。
 今朝出勤しようと玄関を出ると、軒下に置いてあったスタッドレスタイヤが4本、忽然と姿を消していた。父がそれまで使っていたタイヤの溝を見てもう替えたほうがよいと言っていたので、去年の11月に買ったものだ。それからワンシーズン使って4月の頭にカー用品店で交換し、ビニル袋に入れてホイールがついたまま4本縦積みにして軒下に置いていた。昨夜帰宅した時には確かにあったそれが消えていた。そういえば共用通路に私物を置いてはいけなかったっけ、とぼんやり思い出して、それにしてはもうここには4年住んでいるからいまさらそれもないだろうけれど、と、この時点ではのんびりしたものだった。だから管理会社に撤去されたのかと素朴に思い、出勤してから電話をかけてみる。しかし違うという。そういう撤去を行うときはまず書面で一度通達し、それから実行に移るとのこと。そんな書面を見た覚えは一切ないので、管理会社の線が消える。では大家さんが独断専行して、という可能性にかけて、管理会社から連絡をとってもらうことになった。ただもう確定的だったので期待はしないことにして電話を切る。やられた、盗難だ。深夜、あるいは早朝に黒く薄汚れたワンボックスカーで2人か3人で一気にやってしまえば、住宅地、そうそう目にもつかないだろう。きっと下調べもやっていたに違いない。近所の中古パーツショップやオークションサイトに流して、それでも手に入って一万円もしないだろう。そんなもののために人のものをあっさりと奪ってしまえるのだなぁ――もちろんただの想像だ。ただ、この想像が厄介だ。昨年のことだが、万引き品を転売して糊口を凌いでいた車上生活者をすったもんだの挙句に捕まえ、おれは鼻の骨を折った。その時は司法が機能したので、今日感じた気持ちを持つことはなかったが、今回のケースではたいてい捕まえられないと聞くし、盗難品が戻ってくることもないだろう。
 これでも小説を書くということがどういう機能を持ち、そして小説がどんな機能を持っているのかはワナビの端くれとして確たるものがある。それをわざわざ言葉にしてここに書く必要はないし、手札を見せる気はしない程度に狭量だ。ただ上記のような降って湧いた、自分とはまったく異なる世界観を持った相手に、どこまでフィクションが対抗できるのか、そいつらにも通じるものが本当にあるのだろうか。おれがやろうとしていること、信じていることがあっさりと揺らぐ。そいつがとても悔しい。こんなことやっている暇があるならロールシャッハみたいに絶対に妥協することのない「超人」と化して街を徘徊したほうがいいのかもしれない。そう思ってしまう。そんなことができやしないと知っているのに、だ。そう気休めでいい。無駄だとわかっていても戦わなければいけない時があるなら、まさにこの文章がそうだ。ぼくは納得して、死にたい。