ブックスエコーロケーション

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『涼宮ハルヒの消失』


 近所のシネコンで今週までだったので、昨日観てきました。山岸真氏のようにおつなことにはならなかったのが残念。それまでにバイトの男の子が「3時間ですよ」と教えてくれていたのですが2時間50分じゃん、とほっとしてから何か違うな、と思ったのでした。
 観終わったあとすぐツイートしたのでほとんど言うこともないのですが、再編集していちおう。
 まず三時間かけてやるストーリーではないよな、と思いました。状況の説明なんかの尺を削れるところもあったように思います。ただキョンのモノローグで構成されているのはTVシリーズと変わらないのですが、それがつまらなくなったら、画面やモブの書き込みを追いかけることができる、そういう描き込みがとてもしっかりしていました。本来なら流して見てしまう細部に視点が向くように描かれているので、実際それほど長さが気になることもなかったのです。中だるみすることなく見ることができました。それと同じようにEDのアカペラもスタッフロールに集中させるというかなり珍しいことを成功させられていたのではないのでしょうか。
 また台詞の意味を多重に解釈させる演出がおもしろい、というかなんというか。このシーンは確実にこのキャラからこのキャラへの告白にしか見えない、にも関わらずそこにいわゆる恋愛感情は存在せず、「告白のシーンとして見るのは自由ですよ」という演出が行われる。そこにあるのは我々のポルノであってキョンのものではない、ということだ。なんつうの、そんなに守りたいのか処女性を、という部分と長門の肉感的な演出が浮いているように思えてならなかった。まぁ「仲間」という言葉でそれは留保されているのだけれど、いやいやそれはほら恋愛感情へと発展するでしょうよ、と思うのです。かわいい女の子と同じ時間を共有することで醸成されるもんじゃないの? と。ってこれはTVシリーズの時にも似たようなことをつっこんだのでただの繰り返しなわけですが。けど、なんというかこういう部分を論じてらっしゃる方はいるのかなぁと思うのです。あとおれ自身もハルヒを見た時だけに感じることなのかどうかがいまひとつわからない。それとも見ている側が勝手に補完して、ということなのだろうか。
 これは感想というか余談なのだけれどキョンがどうしてもカズヒラ・ミラーにしか聞こえなくて最初はついつい吹き出してしまった。あとね、ショックだったのが、文芸部の方の長門はそんなにしゃべらなかったし、かわいく見せる描写が少なかったということです。意外でした。これで満足できてしまうのか、と思ってしまうほど抑制されていた。そりゃキョンもエンターキーを押すわ、と思いました。しかしだからこそ、妙に肉感的な描写が気になってしまうのでした。

公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失

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