すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『カーテン・ロック』(1331字)

 高浦千夏が二年四組の引き戸に手をかけると、教室の中で何かが動く気配があった。
 千夏は扉を開けた。気持ちのいい風が千夏の頬を撫でた。窓が開いている。まっしろなカーテンが風に揺れていた。
 教室には誰もいなかった。
 それもそうだ、と千夏は思う。クラスメイトは目下、交通安全教室だ。初夏の青空の下、グラウンドに整列している。遠方から通学してくる生徒のために自転車だけでなく原付の講習もある。つきあってられなかった。千夏は徒歩で通学している。家から五分もかからない。
 千夏は窓際の、自分の席に向かう。その途中で気がついた。一番後ろの窓、そのカーテンが不自然に丸まってふくらんでいる。あまり背は高くない。自分と同じくらいだろうか。気がつかれないと思っているのか、気がつかれても構わないと思っているのか。
 チョークでも投げてやろうか、と千夏は思う。
 不意にどん、と腹に響く音が鳴って、グラウンドからどよめきが聞こえてきた。千夏はついつい外をうかがう。衝突事故の再現だった。重たい人形が自動車のボンネットからすべり落ちていく。それでもカーテンのふくらみは動く気配を見せなかった。堂に入った巻き込まれっぷりだった。
「高浦千夏くん、きみはそういうことに興味がない、と私は思っていたのだがね」
 カーテンのふくらみがしゃべった。芝居がかった口調だった。千夏はかちんときた。こんな喋り方をするやつはクラスにいない。こいつはあたしをバカにしているのだ――こいつは敵だ。
「それ、どれくらい練習したの? うまく言えてるじゃない」
「なんのことだ?」
「それ、その口調」
「これが素だ。普段は擬態している。そうしなければ生き延びられない」
「はぁ?」
「だからきっと、高浦千夏くん、きみは私が誰だかはわからないだろう」
「…………」その通りだった。千夏は、声だけでクラスメイトを判別できなかった。
「不断に思考し、言葉を選ぶ。もちろん擬態しているときも同様だが、周囲の状況も鑑みる」
「自分を殺して?」
「生き延びるために。あと二年でここから脱出できる」
「そんなの、どこに行っても一緒じゃないの? 頭がいいと大変だね。そんなに頭がよくて、得したことあるの?」
「…………」今度は彼が押し黙る番だった。
 風が鳴って、カーテンがひらめいて、窓の外からは歓声が聞こえてくる。
 ふくらみが身じろぎして、言った。
「実は、きみに訊きたいことがあって、追いかけてきた」
「なに?」
「休み時間だ、どうしてきみはいつも机に突っ伏していられるのだ?」
「トイレはひとりで行くものじゃない?」それに、と千夏は続けた。「寝てるわけじゃなくて、音楽、聴いてるから」
「音楽?」
「そ、GREEN DAYって知ってる?」
「いや、洋楽は聴かない」
「聴いてみる?」
 ふくらみは沈黙している。千夏はiPodを取り出してイヤフォンを彼に向けて差し出した。はかったように、やかましい音楽が軽快なリズムと高校生でもわかるような英語で鳴り出した。鳴り続けている。千夏はiPodを机の上に置いて、自分の席に座った。背後で音楽が鳴り続けている。千夏がこっそりと背後をうかがうと、カーテンのふくらみから半袖の細い腕が伸びていた。もうすぐ敵が罠にかかる、と千夏は自分の口元が自然とほころぶのがわかった。


【了】