ブックスエコーロケーション

「SFとボクらの場所」をテーマにした本屋のブログです。実店舗はありません。開業準備中。

『SFが読みたい!2010年版』

SFが読みたい!〈2010年度版〉発表!ベストSF2009 国内篇・海外篇

SFが読みたい!〈2010年度版〉発表!ベストSF2009 国内篇・海外篇

 書店員をやっていてよかったと思える点はこういうランキング本の結果が事前にわかることぐらいでしょうか。発注をかけて一緒に並べるために、事前に注文書が送られてくるのです。
 海外のランキングにはそんなに興味が惹かれなかったのですが、国内のランキングでは、今年はやはり『あなたのための物語』と『バレエ・メカニック』をスルーし続けるわけにはいかないようです。というか今年は国内篇は「あ、ほとんど読めているなぁ」と初めて思えたのでした。『SFを読みたい!』を買い始めたのが2003年で、それから初めてのことでした。理由は……新刊を追いかけるようになったから、でしょうか、ちょっとこれといった理由に思い至りません。
 なお今回一番読み応えのあった記事が鏡明×大森望×佐々木敦の「ゼロ年代SF総括座談会」でした。ゼロ年代ベストSF30を受けての座談会で、まさに国内のSFの流れをきっちり概観してありました。特になるほどと唸ったのが、イーガン以後の日本SFにはラインが2本あるとして、一方が「(世界が)終わっちゃったけどどうしますか」で書いている円城塔伊藤計劃飛浩隆ラインで、もう一方が「SFファン好みのプロジェクトX」的な「伝統的なSF」を書く野尻抱介小川一水山本弘ラインがあるのではないのか、という見方でした。佐々木敦は特に「十年前でも二十年前でも、つねに書かれているようなSF。それに対して、ゼロ年代以降、9・11以降じゃないと出てこないようなSFもなんとなくある」と言っていました。ここで思い出したのが古川日出男村上春樹がインタビューされていた『モンキービジネス』で、現代は現実認識の上で9・11があった別世界に入り込んでしまったのではないのか、と言っていたことだった。「われわれが生きている今の世界というのは、実は本当の世界ではないんじゃないかという、一種の喪失感――自分の立っている地面が前のように十分にソリッドではないんじゃないかという、リアリティの欠損なんですよね。」*1そこから生じる混沌さが自作がアメリカで受け入れやすくなっているではないのかと述懐している。
 現実に不信感がある、という現実認識をしている読者に読まれる、P・K・ディックやグレッグ・イーガンや、これも含めてしまうけれどリアル・フィクションの作品群。「今ここではあきらめているかもしれないけど、別の世界にはあきらめなかった俺もいる。それも含めて俺だ」という「これしかなかったんだよね」という諦めをともないつつも、それでも現実を肯定せざるを得ない現実がぼくたちの前には広がっているというのは、『ゼロ年代SF傑作選』の解説感想のエントリでも書きましたが、そうサバイブ感をともなってぼくたちにより切実に迫ってくるのだと思いました。自らに惹きつけて読む。またこれでなんとなくテッド・チャンが褒められている理由がわかったようにも思いました。
 その意味でやっぱり『1Q84』と『クォンタム・ファミリーズ』はゼロ年代の最後の年に出るべくして出たような作品なのだななぁと、どちらもいまだに読んでいないのだけれど、感慨深く思うのでした。
 あと、塩澤元編集長の「Project Goes on...」でのさりげない「ハヤカワ・SFコンテスト」の再開宣言を忘れてはいけないでしょう。おれだって1Q84年生まれです、と。さぁテン年代は始まったばかりです。

*1:モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号』。また村上春樹は『シドニー!』に触れてオリンピックについてこう語っている。「オリンピックってそれまではずっとつまらないものだと思っていたんだけど、実際に現地に行ってみたら、想像を超えてやたら面白いものだったです。何が退屈でつまらないかというと、要するにテレビや新聞の文脈で切り取られたオリンピックが退屈でつまらないんですね。メダルをいくつ取っただとか、感動がどうだとか、そんなことばっかり言っている。アナウンサーの声もうるさいし。現場でアスリートの動きを実際に前にしていると、とても静かです。おおむねしんとしている。見ていて「こういうのいいよなあ」とほくほく実感します。いくら見ていても飽きません。」や、おれの違和感を見事に言い当てられててびっくり。