ブックスエコーロケーション

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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく――全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。

「キャシー・H」の語りは当たり前ではあるが彼女の知っていること/見えているものしか語ることしかできないし、読者はもちろん彼女の語りを全面的に信用するわけでもない。当然、回想のスタイルで語られるこの物語は、彼女なりの解釈が加えられて我々の目の前に立ち上がってくる。その「解釈」が読者の読み取ったシーンを相対化して決して独りよがりのものにしていない。こいつが曲者だ。彼女の語りがその中立さから読者に対して優しいものであるかのように読者は思ってしまう。けれど決してそんなことはなくて、(読者にとって)重要なことが省略されたり後回しにされたりする。この語り手と読者の齟齬がたまらなく楽しいのだし、「泣くとか泣かないとか、そんな程度の心の震えでは収まらない」という帯の文句につながっていくのだろう。
 一人称でありながら、圧倒的に透徹とした語りのおかげですらすらと読むことができたし、「提供者」のSF的設定や歴史的背景がほとんど具体的に描かれることがなくても、彼女が生きている、という感覚が語りによって立ち上がってきて、その説得力でもって強引にラストまで持っていかれた感じがある。
 確かに端正な筆致だと思うし、すばらしい構成力だとも思うのだけれど、この滲み出るような荒々しさ/エネルギーは読んでいて疲れる、というよりもうまい具合にしっくりきた。力みではなくて、一文一文に充全に力が満ちている感じ。「すげぇ!」って手放しで叫ぶのではなくて、すらすら読んでいくうちに「あれ、これっておもしろいじゃね?」とはたと気がつく感じだった。もしかするとこれが文章のうねりというやつなのか、と思った。
 えっと、つまり何が言いたいかというと、「小説を読んだ」ってこと。それもかなり上等な。