ブックスエコーロケーション

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『ハーモニー』伊藤計劃

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

「一緒に死のう、この世界に抵抗するために」――御冷ミァハは言い、みっつの白い錠剤を差し出した。21世紀後半、<大災禍>と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。体内を常時監視する医療分子により病気はほぼ消滅し、人々は健康を第一とする価値観による社会を形成したのだ。そんな優しさと倫理が真綿で首を絞めるような世界に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した――。
 それから13年後、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、かつて自殺を試みて死ねなかった少女、現在は世界保健機構の生命監察機関に所属する霧慧トァンは、あのときの自殺の試みで唯ひとり死んだはずの友人の影を見る。
 これは“人類”の最終局面に立ち会ったふたりの女性の物語――。『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

 伊藤計劃は「物語る」ということに意識的な小説家だ。
 誰が、何を、如何に、物語るのか。
 前作*1では、ソリッド・スネークを描くために相棒たるオタコンがオタコンならではの視点で、次代へとつなげていくために語った。
 では、今作『ハーモニー』ではどうして彼女が、「霧慧トァン」が語り手でなければならなかったのか。どうして彼女(の一人称)が選ばれたのか、ということについて触れるとどうしてたって物語の設定に言及しなければならない――ネタばれになってしまうのだけれど、ただおれは作中で「タグ」が多用されるということから、これは「書かれた物語」なんだな、と思ったということ。つまり、誰が読んでいるのか、ということを深く意識させる文体が採用されていた、ということだ。
 今月号のSFマガジン*2のインタビューで、伊藤計劃は自ら「三人称に胡散臭さを感じてしまう体質」と述べており、その胡散臭さをどのように脱臭するのか、それについて不断に考えていることが伺えて、とても親近感を覚えた。なぜっておれも、結局書く際にどうしたって「作者の見えざる手」を意識してしまうからだ。作中で「偶然」起きることは、決して偶然に起きるわけではなく、「作者がそう意図したから/物語の要請上」起きるのである。それはもちろん「どうして彼(女)が主人公/語り手に選ばれたのか」という点にも作用することだ。
 そういった普段読者は意識せずに読み飛ばしてしまうようなところにもきちんとした理由を用意しておいてくれる。こういうのが、おれはたまらないのだ。
 他にもたまらない点があって、それは個人/キャラクターを描くための小説ではなくて、社会システム/イデオローグを描き出すためのSFであると割り切り、感情移入?はぁ?と言わんばかりに投入されるくすぐりの数々や、語り手のとんがった思考が、エモーションじゃなくてロジックを読んでくれ、と言って、何度も読むのを中断させられつつ=一瞬一瞬考えさせられながら、読み切った!という「感慨」にふけることのできる小説だった、ということだ。その意味で、『ハーモニー』は『メタルギアソリッド』と対を成す作品だ。前者が社会を描き出すのに対して、後者は圧倒的なまでにキャラクターの魅力に支えられている。
 そして忘れてはならないのが、コンタクトレンズや四足歩行キャリアなどの、『虐殺器官』からの発展が楽しいガジェットの未来性だ。最近はじめてBigDogの動画を見た人間としては、トァンの荷物を運んだヤギが妙な説得力でもって立ち上がってきて、うわぁあ気持ち悪いと思いながら読んだ。
 なおこの作品の構造をひどく乱暴に表現すると「セカイの終わりで○○なんていらないと叫んだ村上ハルヒを追いかけるキョン」なんだろうな、たぶん。
 さて、これから書く小説が、ちゃんとした返事になればいいのだけれど、……うん、がんばろう。

*1:

METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS

METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS

*2:

S-Fマガジン 2009年 02月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2009年 02月号 [雑誌]