ブックスエコーロケーション

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古川日出男『ルート350』

ルート350

ルート350

 昨夜気がついたら読みきっていた。『聖家族』も読まずに読んでいた。マラソンはとりあえず『狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」』は読んで、「扉二」の文字に打ちのめされてやめている。けどそのまえでかなり鳥肌立ったことは明記しておく。あの泣かし方はすごいな。
 ASAVAが「ゼロから始めたのに最初に読むのが古川日出男ってww」というのを三代目から聞いたのだけれど、言われてみれば確かに、と思った。でもなんというか『聖家族』はちょっとなんかしっくりこない、というかパフォーマンス的読書ってやつでずいぶんと疲れるからなのか、どうにも勉強という意識が立ち上がるまえに、流れについていくので精一杯、という感じなのだ。まだ自分のグレードが古川日出男の創作スピードに追いついていない、ということなのかもしれない。だからまぁ好きだから読むというよりも完璧「挑戦」という姿勢が必要な小説だと思うのだ。
 で、『ルート350』はおれがどはまりした『LOVE』の頃の作品で、文体が、すでにおれの身体を構成しているもので描かれているのですごく安心して読める。すでによく知っているものを改めて確認するために読んでいる感じだ。この時期の文体が実はいちばん身体になじんでいる。だからこそか、どうしても「お!」という感じの言葉に出会うことがなかった。もちろんモチーフやオープンエンドのおもしろさは本当に猥雑豊満で、それでいてたぶんすごく乾いてプラスチックのような「レプリカ」っぽいのは本当にすごいと思う。
 古川日出男は一貫して偽史から正史をくつがえす、ということをやっている。それをもたらすのが土地であり物語であるというスタイルをとっている。でもなんだろうね、ついていけるついていけない、ということなら東北六県よりも、東京という世界のほうがわかるんだよな。知っている、ということがこれほど影響を及ぼすのはなんでなんだろう。土地補正がかかるというのは、それだけヒトの基盤に土地というものが根ざしているということの証明であるということなのだろうけれど。それともそれだけテレビで取り上げられることの、その差なのだろうか。