- 作者: 法月綸太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/02/02
- メディア: 単行本
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この小説がおれのストライクゾーンを180キロでぶち抜いてくれた理由を、これから述べようと思う。
細部がいい。これ知ってるよね、というネタがどうにもおれが読んだことがないような小説からばしばしがんがん引用されているのに、その引用を楽しんでいる登場人物たちがいて、ああそうそうこういうのやるやる〜wwwとおれの記憶をずんばし刺激してくれるからだ。学校で、教師と生徒との関係もいいし、工藤と曲輪のメタのじゃく式話法なんて楽しくて仕方がない。細部にちりばめられた、教養というか、知識というか、俗な、しかし妙にはすに構えた頭のよさ、みたいなのが楽しいのだ。
文体がいい。チャンドラーをちゃんと読んだことはないけれど、この『密閉教室』の文体は内省的で、描写もふるっている。うたれてへこんでたちなおって反撃して感情に振り回されて攻撃的になって自家撞着なんていう、高校生をハードボイルドの文体があやうい均衡で支えている。そうして、この危うさがまたひとつの、魅力になっているのだ。
コーダがいい。これは構成に関することなのだけれど、このコーダのあるなしによって、『密閉教室』はまったく別の小説になるだろう。このあたりの確信に似た想いはASAVAとのメールによって認識したことを、ここに付記しておく。コーダはこの小説が書かれた理由を、主人公・工藤順也によって説明される章だ。もちろんここで書いてあることを鵜呑みにしてもいいのだけれど、それじゃあつまらないのでおれの考えを書くが、本文中には何度も「フィクションの名探偵」という伏線がはられている。これはフィクションです。ラストのカタストロフィもさることながら、この小説は工藤順也が、恋慕するおのれの道化っぷりを痛烈に描いたドリーム小説なのだ。名探偵として振舞いたくあり振舞えず、踏ん張り解決するも勘違いによる決定的なカタストロフィ。作中に、真部基久という罰せられることに救いを見い出さそうとしている男子高校生が登場するが、これが工藤順也とコインの裏表のようになっているのは明白だ。片方は名探偵として物語の最後まで踏ん張り、片方は物語の途中で容疑者の疑いがかかった女の子をかばって劇的に退場する。じつにどちらも、である。
そうしてこういう突き放した、小説を小説として突き放して描ける法月綸太郎はすげぇってことなんだ、おれにとって。
あと、この記事を書きながら思ったんだけれど、こういう青春小説ってミステリィだとこれで、SFだと『サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)』になるんじゃねぇのかな!ずんばしと読みたい小説に出会えた感触も似てたし!