すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

長編EFCと申し置くこと

 というわけで昨日まで書いてきたものを、ばっさりと消すことにした。一人称ではなくて三人称に移行しよう、と思った。おれにはもうリアル・フィクションしかないのだリアル・フィクションの延長線上で勝負がしたいのだ。昨日、はてなキーワードを編集しつつ、強く、そう思った。なんというかできることを見つめる、見つめなおす。ロジックではなくイメージのSFを描くのだ、と思った。たとえそれが北上次郎が嫌いなタイプなSF*1であろうとも、ゼロ年代のおれが書けるのは、勝負できるのはいまのところそれしかないのだ。SFとライトノベルを越境しつつ、野性時代にも書いて、ムーブメントにのっかって勘違いの思想=なんかわけわからんけどかっこいいものを書きまくる、大量消費時代のエンターテイナーを目指すのだ、とASAVAとメールしながらその意思を固めた。年に2冊出して短編集を一冊ぐらいださなきゃ、たぶんいまのご時世、文章で食っていこうなんて思えない。
 この路線で近いのはいまのところ海猫沢めろんだろうけれど、セールスはたぶん芳しくはないだろうから、ちょっと違うのかも。文壇的に成功している先駆者としては、やはりそうだ、桜庭一樹をあげるべきだろう。彼女がファミ通文庫でやっていた荒野の恋シリーズが『荒野』として装いも新たに文藝春秋から出版される。この表紙が非常にケータイ小説っぽいので各所で不平があがっているようだが、おれにしてみれば、いち小説家志望の書店員としてはライトノベルから読んでいる読者は当然買う、直木賞で知った読者も買う、ケータイ小説を読んでいてそろそろ別の本も読んでみたいなぁと思っていてあれこの本ってこのあいだなんとか賞をとった人の本じゃん表紙かわいいーという女子中高生へ向けて売ろうという気がまんまんで、なかなかに優遇されているではないか、と思うのであるがどうだろう。彼女が描く「少女性」はたぶん読者を選び抜いて訴えかけるという、いい意味での閉鎖性を持っていて、それは決してケータイ小説のそれと劣らないのではないのかと思う、からだ。っていうか彼女はあれよ、ジャンルごとにきちんと書き分けられるタイプの人だから、各ジャンルできちんと読者を獲得しているのだと思うのだよ、おれは。だから今回は新たな市場を開拓しようとしているのでは、とも思うのだよ。まぁだからいまんとこの最終目標は、桜庭一樹ってことで。
でっかくでたもんだw
でも彼女の「どうせあたしの思うことなんて浜崎あゆみがすでに歌っている(うろ覚え)」*2とか格闘技をやっているひと特有の身体感覚*3みたいなのにはものすごくシンパシーを感じるんだよね。それは猥雑なインテリさを売りにしている海猫沢めろんよりも、すなおに受け止められる、実にプリミティブなもんではないのかと、思うのだ。いや単に海猫沢めろんはちょっち得体の知れないところがあってそれが怖いっていうか、安心できないってのもあるけれど。だって、彼は新井英樹のイラストに負けてない小説が書けるんだぜ。
 まぁいいや、とりあえず『ノーカット版 密閉教室 (講談社BOX)』でも読んで勉強しよう。

*1:読むのが怖い!―帰ってきた書評漫才 激闘編』にて『サマー/タイム/トラベラー』を読んで「これはライトノベル全体に対する俺の不満なんだよね。みんなうまいからそれなりに読ませちゃうけど、よく見ると雰囲気が中心でさ。強いストーリー性とか因果関係じゃないものでもいいから何かが欲しいんだけれど、それがないんだ。」このあたりJ・P・ホーガンが好きだとおっしゃていた自然地理学の恩師と似たにおいがする。

*2:

ブルースカイ (ハヤカワ文庫 JA)

ブルースカイ (ハヤカワ文庫 JA)

*3:

赤×ピンク (ファミ通文庫)

赤×ピンク (ファミ通文庫)