そもそも言葉と物語が不可分だからこそ小説となるのです。
文法は物語に従属する。
物語が文法に従属するのではない。
これが小説の奴隷制だ。
もちろん、反=奴隷制を唱えるヒューマニズムは必要だろうけれど。
だけど、あたしがヒューマニストを愛せるかどうかは、また別だ。
「文体>筋」になりすぎてるきらいがあるからなんとかするべき。
了解、作戦目標を変更/理解する。今回のくそったれ主任務は、長篇なんてどうせおれになんて書けませんよ、という小説=おれという奴隷制の、完膚なきまでの破壊である。ああちくしょうやってやろうじゃねぇか、ああそうだ男の子には意地があんだよっ!