すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『フリクリ』



 フリマノリカルクリプトノーク。略して、フリクリ。高校生でDTだった頃、両親が寝静まったのを見計らって居間で、まるでAVを鑑賞するようにいそいそ観ていたアニメ。親にしてみれば借りてきたものがビデオだったのだから正直変わらなかったのかもしれないと、今にして思うと笑えるアニメ。そして当時は露骨なアニメ絵のアニメがまだまだ恥ずかしかったころだ。ASAVAに言わせればおそらく「はいはいオサレオサレ」と一笑にふされてしまうであろうアニメである。しかしそのオサレオサレという感覚と、実験演出のオンパレード、ガイナックスエヴァでかち得た圧倒的に説明のない世界観、貞本のキャラデザ、そしてEDのThe Pillows。どれもこれも、新鮮だった。ちなみにその時にはまだエヴァを観ていない。これを観てから、観たような、そんな記憶。


 と、ポップ・カルチャー/オタク文化的な潮流を無視して語っているから、ここからは少しまじめに。フリクリは、年代的にも会社的にも、親エヴァ的な意匠をまといつつ、結局ラストで成熟を描くことに成功してしまっていて、こういう作品がすでに1999年に描かれているのに、このあとからやれセカイ系だ、ロストジェネレーションだとか騒いでいるのだから、ええっと?という感覚があって、え、いやだからセカイ系ってなによ?って思っていたのですが、それはやはり自分が努力すればなんとかなるという性格にも起因しているのかもしれず、うーんと思っていたのですが、いやよく熱血とか言われてしまうのも、そのあたりなのでしょうが結局変な自分を肯定するためには陽の意味での変人認定をもらうしかねぇわけで、屈折してるのは重々承知しつつずっと昔から決断主義であるわけで、うーん今観てもおもしろいぞ。っていうか成熟みたいなんを描けてしまっているから無視されている作品なのか、説教臭いから、成熟への憧憬ってのは結局ノスタルジー?


 なんてことだ!なんてことだ!


 あの新鮮さは、結局かつての自分が寡聞だったことの証明ではないか!


 だから、まぁ情けない話、いまのアニメにしろマンガにしろライトノベルにしろ、ここからまだ全然抜け出せてないよね、ということ。もち、メインストリームが、消費の形態が。


 で、おれが何をするべきか。
 考えた。
 偽史。もしくは、仮想戦記。
 つまり、歴史の異化。


 いやでもこれも結局、古川日出男か。
 うーん。。。