すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『時砂の王』

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

 やるようになったな、小川一水
 アグレッシヴ/アウト・ロウで知られる冲方丁やノスタルジーの魔述師・秋山瑞人と、俺の中で比較することの多かった小川一水ではありますが、今作、『時砂の王』は彼らの作品と遜色ない出色のでき。卑弥呼がバロットに負けることはないし、ETの設定はまさに未完の『E.G.コンバット (電撃文庫 あ 8-1)』を軽く飛び越えていく。うう、打ち震えるぜっ。いやこんな褒め方はひどいのかもしれませんが、おれにとって上記作家と比較して小川一水の特徴にコンスタントな出版と「SF作家」という部分でしかおもろい点を見つけられていなかった、というものもあります。でも今回は違ったのです。
 やるようになったな、と叫んだのです。読後。いいものを読んだ、と叫んだのです。
 あとは個別に気がついたことを。
 言葉遊び的な名前のつけ方も因果を感じさせて楽しいし、タイトルも珍しく、そのままのは相変わらずだけど、ちゃんと深読みができる。オーヴィル=O=王=女王=卑弥呼、とか。時砂、には滅びた時間枝に埋もれていくことで生じる何か。大きな流れとしての歴史=人類の認識、とか、さ。これはオーヴィルの想い人、サヤカの思想だよね、確かさ。
 なによりも群集戦の書き方がかなりうまくてびっくりした。この辺は佐藤大輔を読んだあとだからそう感じるのもあるのだろうけれど。
 あとはここでも触れられていたけれど、漢字の使い方と邪馬台国描写。
 そして、あいかわらずの、人間への深い信頼感。これなくして小川一水は語れないと思う。それを今回は知性体をそばに置くことで、より輝きが増すように描き出されている。多用なモチーフでくすぐりつつ、どうしようもない卑弥呼が立ち上がって「はたを!」を号するシーン……オーヴィルが斃れるシーンよりもこっちにうるうるしてしまうのは、おれが倒れようとしているからなのかwww
 昨年の『天涯の砦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)』のあとがきに、新しい歩き方を知ったような、というような旨が書いてありましたが、なるほどそれが、これか……と小川一水のたゆまぬ進化に慨嘆しました、とさ、おれ。