すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『Self-Reference ENGINE』

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

 昔々あるところに、男の子や女の子が住んでいました。男の子がたくさんいたのかも知れないし、女の子がたくさんいたのかも知れません。男の子はいなかったかも知れないし、女の子はいなかったのかもわかりません。それとも全く本当に誰もいなかったのかもわかりません。ぴったり同じ数だけいたということは、とてもありそうにありません。もともと誰もいなかった場合だけは別ですけれど――。
 それは、あまりにもあっけない永遠だった。
 ハヤカワSFシリーズJコレクション創刊5周年記念作品・文學界新人賞受賞後第1作。


 よ、ようやく読み終えた。ロジカルにぽんぽんと投擲されるSFネタに四苦八苦しながらも、どうにかこうにか読み終える。やっぱりなんだか大きなストーリーでぐいぐい引っぱってくれるような、そういうリーダビリティは、この本には求めてはいけないのだろうけど、頭を使うぶんだけ真剣に読もうとして、疲れてしまいますね。手強い相手でした。
 SFネタに対する論理や考察がどれほどバカ話的なのかは、おれにはちょっと判断しかねるので(なにせ生粋の文系なのもので/まぁだからこそSF的なものに魅力を感じるのでしょうが)、そういうこととは別のことを。
 これを読み終えてあるていど確信したのだけれど、円城塔は「卓越した論理性でもって叙情性をコーティングできる作家」、なのではないのかと思う。ほら『オブ・ザ・ベースボール』だってそうじゃね?
 各章のラストには、非常にセンチメタルでノスタルジックで決断主義な(!)な文章が頻出して、読者の心を揺さぶってきます。いや、おれは猛烈に揺さぶられたんですね。怠惰でどこか適当な論理が展開されているようで、その下では密にエネルギー/想いが渦巻いていて、それをラストにちょろっと出すことで、うわわわあわ、っていう感情に襲われる、おれ。うまいなぁ〜、と思うわけです。
 そしてこの熱さは懐かしさに、変換されるんですね。
 だってバカ話ってのは、ほら、気の置けない友達と部室で、徹夜で、小説や映画やアニメやゲームについてくだらなく怠惰に、それでいて真剣に語り合うことだったんですから、おれにとって。
 論理的なバカ話たちの中にノスタルジーを見出してしまうのは、そのどこか気心のしれた相手とバカ話をやる、そんな気安さと優しさがにじんでくるような小説だったからなのでは、と思ったのでした。