ブックスエコーロケーション

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『二〇〇二年のスロウ・ボード』

二〇〇二年のスロウ・ボート (文春文庫 (ふ25-1))

二〇〇二年のスロウ・ボート (文春文庫 (ふ25-1))

 この文章は僕自身のエクソダス――『出トウキョウ記』であり、その失敗の記録だ。(本文より)
 小学五年生の夏から始まる三つのボーイ・ミーツ・ガール。トウキョウに突きつけるノオと、愛憎。それは三たびの喪失であり、三たびの敗北だった。言葉でビートをきざむ古川日出男がとどける愛のかたち。著者自身による解題を収録。

 とある友人に贈るために購入した。もちろん上記の解題も楽しみだったことはいうまでもない。
 上記の解題で著者は、古川日出男はこう言っている。

 これは「僕(=古川日出男)というブラックボックス」を通過して、自分が生きてきた/生きている時代に吐き出された“おんぼろ船/スロウ・ボード”である。無意識、夢、それから純粋だという以外に価値のない愛情。

 もちろん著者の言葉を鵜呑みにすることほど、愚かなことはないと思うのだけれど(なぜなら小説家=動詞的な存在としてのWriterは基本的に嘘つきだし、その嘘を楽しんだり暴いたりするのが読書の楽しみでもあると、KASUKAは思っている)、ここでは「魂のルーツ」に対するエクスキューズがなされている分、文章が誠実ではないのかと思われるからだ、姿勢とか、そういう部分で。
 だから、少しは信じてもいいし、共感してもいいと思う。
 だからKASUKAは引用する。

 僕は小説だけを“勉強”して、この道を志した作家ではない。当たり前のように、僕はずっとポップ・カルチャーを呼吸してきた。つまりレコードをターンテーブルに載せて針を落としたり裏返したり、ゲームのコントローラーを握ったり、書物のページを繰りながらチョコレートを食べたり、あるいは映画館内でポテトチップスの袋にガサゴソ右手を突っ込むのをちょっとした行き甲斐にしたり。なかでも、音楽は僕にラジオを与えてカセットテープを与えてCDを与えて、これからもあらゆる違うものを与えようとしている。メディアを超越して生きのびている音楽は、ぼくにながしかの「ハウ・トゥ・サヴァイヴ」教示しようとしている(ような気がする。大仰に言えば)。

 うーん、こういう姿勢は大好きだわ、やっぱり(笑)。