すべてはゼロから始めるために

小説家志望の雑記です。

『サウンドトラック』

サウンドトラック〈上〉 (集英社文庫)

サウンドトラック〈上〉 (集英社文庫)

 東京は異常な街に変貌していた。ヒートアイランド現象によって熱帯と化し、スコールが降りそそぐ。外国人が急増し、彼らに対する排斥運動も激化していた。そんな街に戻ってきた青年トウタと中学生ヒツジコ。ふたりは幼いころ海難事故に遭い、漂着した無人島の過酷な環境を生き延びてきたのだった。激変した東京で、ふたりが出会ったものとは――。
 疾走する言語で紡がれる、新世代の青春小説。

サウンドトラック〈下〉 (集英社文庫)

サウンドトラック〈下〉 (集英社文庫)

 かつて母親に殺されそうになり、継母からも拒絶されたヒツジコは、世界を滅ぼそうと誓う。見た者の欲望を暴走させるダンスを身につけた彼女は、自身の通う女子高で、戦闘集団「ガールズ」を組織する――。一方トウタは、友人レニの復讐を手伝うため、東京の地下に住む民族「傾斜人」の殲滅を決意した。トウタとヒツジコの衝動が向かう先とは……。
 崩壊へと加速する東京を描いた、衝撃の長編小説。

 読了後の第一声は「ナンダコリャア!」だった。なにがなんだかよくわからないけれど、ずっげぇ痛快で爽快なラストシーンだった。だからKAUSKAは「ナンダコリャア!」と叫んだ。夜中の3時に、大声で、声を振り絞って、身体の震えを吐き出すように。
 抽象描写が実に色彩豊かで、濃密で、原色で、言葉のリズム感/ビート感が本当に気持ち悪い。ちなみにこれは褒め言葉。この猥雑さと無国籍さを出すがための文体だから。でも文体のシャープさは、オサレさは、まだ『LOVE』には到達していない、かな。でもだからちゃんと、物語に引き込まれる。文体だけが浮くことはない(この文体の差異は、もしかすると対象とした東京の地域性に起因しているのかも知れない。でもKAUSKAはるるぶもまっぷるも見ないけれど、多用される地名にはそんな意図があるのではと思考した)
 この物語の構造は「東京」を壊すことによって「東京」の何たるかを俯瞰し、そこで生きる「人々」を「異邦人」の視点から描き出す。もちろんここで言う「異邦人」とは「トウタ」と「ヒツジコ」であり、「人々」とは「移民」や「ガールズ」や「動物」のことを指す。描かれる視点の高さが、細部に細部を重ねる綿密さが、描き出す想像力がうねり絡まっていつのまにか物語へと発展していくさまは実に見事。でもだからこそ細部の濃密さと独立した短編のようなエピソードの数々に、読者は恐ろしいほどの集中力を要求される物語なのだけれど、貫徹された文体意識が、軽薄な会話文が、読者をドライヴさせる/読むことを強要させる。すげぇ。
 この作品で描かれるのは2009年までの「東京」だ。でも決して、もうひとつの/パラレルな「東京」なんかじゃない。ここで描かれているのは未来の/今の/過去の「東京」だってことだ。動物的な感覚で「東京」を、それとは違う感覚で支配された「東京」を奪還するんだ、ってことだ。
 でも、情けない話なのだけれど、いまだにKAUSKAは古川日出男が「東京」にこだわる、その理由を理解できていない。でもだからこそ、地方在住者だからこその視点がこのレビューには存在するのではないのかと、そう自負もしている。


 でも、この物語で一番KASUKAがおもしろかったのは「ヒツジコ」が「免疫体」と出会っていくパートだった。過度に強調されたポップでシャープでストイックでデンジャーな少女性/処女性が全面に押し出されたパート、上巻の249頁から上巻ラストまでのシーンが、KASUKAにとってはもっとも魅力的だったのだ。これは単なる嗜好の問題なのだけれど、ここで描かれる「ガールズ」は、たとえそれが男性の強調された妄想であろうとも――むしろだからこそ、本当の本物の少女だったのではないのかと、KASUKAは思うのです。
 そしてこういう突き抜けたものを持った本を読むと、実に自分の嗜好や性癖みたいなものが露骨に反射されて、自分を「ナニモノデアル」と規定することが好きなKAUSKAには絶好の獲物でございますな(笑)。いや新年早々よい本に出会いました。